2013年02月10日

思い出の旅日記(利尻・礼文編)

今までたくさんの所を友達夫婦と4人旅をしてきました。
美味しい物、人の訪れないような所に行ったのでこれから訪れる方
の参考になればと思い日記を書くことにしました。

まずは北海道の利尻・礼文から

千歳空港でレンタカーを借りました。
まだまだナビが珍しい時で説明を受けていざ出発。
道央道を北に向かって走り、深川ICから留萌を目指していたら
突然「リルートします、リルートします」とナビが甲高い声で言い出しました。
「リルートします」?何のこと? 道を間違ったと解った。
それからも時々言うので「ナビが自分の言うことを聞かないとおこっちょる」と
笑い、今でも私達の語り草になっています。
ナビの初めのころはこんなことを言っていたのです。


留萌は友達が転居したので思いで深い土地ですが、大きな橋の上から
眺めただけで右に曲がり、北上しました。
30分位で鰊の番屋に着きました。大きな家でヤン衆が寝る所は囲炉裏を囲んで
四角くあったように覚えています。材木の大きかったことが印象的でした。
目の前の浜辺は遠浅でここで鰊を積んだ船をエンヤラと引き上げていたのでしょうか?
夕日が落ちていくのがきれいでした。

今夜の宿は旭温泉
国道から右に曲がって行けども行けども家もない、心細くなった頃
ぽつんと一軒家。予約した私はほっとする。
温泉は鉄分が多いのか真っ赤な色をしていたしお客さんがいないのか
一番風呂。お料理は覚えていないが食事の途中に停電して蝋燭の灯で
食事が終わったら、夫達にオンザロックのウイスキーのプレゼントが。
氷はオホーツクからとって来た流氷だとか、ウイスキーの中でぷつぷつと
気泡が出て遠い国を思いました。夫達には良い思い出になったようです。

次の朝、鳥のさえずりで目が覚めた。出てみると周りは雑木林。
大きなねずみくらいのえぞりすが何匹もちょろちょろ、可愛くてカメラでパチパチ。
誘蛾灯の下には手のひらサイズの蛾がたくさん落ちていて大きさにビックリ、
さすが北海道と納得。


また国道に出てサロベツ原野に向かう。
9月の初めだったが展望台からの眺めのサロベツ原野はほとんど茶色の世界。
日本にもこんな広い所があるのですね。
突然転送にしている携帯がなる。今どこ? 今日来れる?親戚からの電話。
今日は行けないよ!と返事。
文明の利器では不在証明(アリバイ)は難しいかも!と思う。

左に利尻富士を見ながら丘陵を上り下りしながら一路稚内へ、
110キロ出しているわが車を疾風のごとく追い抜いていく、
150キロ出しているのでは?
北海道で事故が多いという事が解る気がする。

間違ってなければ・・・風車がたくさん並んでいたような気がするが・・・。

稚内では氷雪の門を見る・・・・樺太の真丘の電話交換を最後まで守った乙女達の
記念碑、映画で見た「これが最後です、さようなら・さようなら」という言葉が聞こえて
くるようです。樺太に向かって立っています。
樺太出身の友達に「着いたよ、氷雪の門を見てるよ」と電話する。

船で利尻へ・・・荒れる海といわれたがこの日は凪いでいた。
鷲泊港に着いたらお腹がすいたので乗船場の上の食堂で食べる。
うに丼を頼んだらもうビックリ、大きなお椀の上にこれ以上は無理というほど
うにがたっぷり。
うにが有名とは聞いていたがこれほどあっていいのでしょうかと思うほど。
美味しさも量もあれほどのものには後にも先にもお目にかかってない!
夫達は三色丼、うにといくらと? 私達のを羨ましそうに見ていた。

満腹になって島内見物
まずは見返展望台へ、車で途中まで行って後は10分くらい歩く。
雑木林の隙間から海がきらきら。
見えたのは礼文島、逆光だったので春霞みたいにボーと見えていた。
次にペシ展望台(?)にも登る。こちらは鷲泊港から見える所。
5メートル位の幅の岬みたいな所を這うように登っていく、
直角に上がっているようで怖い。高さはどの位あるのかな?
眺めは稚内だと思う陸がかすかに見え、後ろを見ると利尻富士が
目の前に迫ってくるようだった。
下りがもっと怖かった、岩に打ち付ける波がもろに見え、このまま
真ッ逆さまに落ちてしまうのではと思うほどだった。


宿は鷲泊のホテル。
温泉だったのが印象的、料理の内容は覚えていない。

次の日礼文島へ。

鷲泊港から香深港へ
スコトン岬へ行くことになり細い道を一路北へ
ガソリンを給油しようということになり小さなスタンドへ
その高かったこと。本土より10円は高かった思いがある。

道の狭い割には石ころだらけの駐車場?
みたいな所は広く取っているなあと思っていたら
そこは昆布干し場だった。波打ち際まで広がっていた。

スコトン岬は晴れ渡っていた、あれが樺太、かすかに島影が見えた。
岬の先にも小島が点々とあり海峡みたいになっていたが波は荒く
北の果てに来たなあと思う。断崖の下には小屋があって昆布が
たくさん重ねてあった。あれは今から干すのだろう。
とにかく風が強く寒かった。

帰りも同じ道を引換えし、香深港でもうに丼をということになり
本に出ていた所に行ってみたが、量も少なく夫達もがっかり。
それでも港の近くのお魚屋さんで子供達に雲丹を送った。
やはり安かった。

香深港から稚内へ
行きと違って海は荒れていて酔ってお魚にえさをあげてしまいました。

稚内に泊まった、電話で予約してお得なホテルとは思ったが
名前の割には驚くほどひどかった。ビジネスホテルにすればよかった。

近くの市場があり花咲カニが大きなものでもとてもお手ごろ感があったので、
自宅と兄弟に送ってしまった。結局高い買い物になった。
稚内空港を右手に見て宗谷岬をめざす。小雨が振り出したので遠望が利かない。
北の果ての岬では小雨の中モニュメントを見て朝食ということになり、一番近い
ラーメンやさんに入った、特製というのを頼んだらまあ海鮮が入っていること、
かに、ほたて、ほっき名前の知らない魚みたいなの、夫達は全部食べてしまったが
女性はトッピングだけでお腹がいっぱいになってしまいました。

岬から登った所に日本一の牧場があると聞いたので行って見た。
まずは絞りたての牛乳を頂く、温かいのに脂肪が解けずに上のほうに
層を作っていたのには驚いた、こんなの初めて!
外に出てみると丘がうねうねと続いていたが見える範囲は全部この牧場
ということだった。日本にもこんな牧場があるのですね。牛の姿は見えなかった。

オホーツク海を左に見ながら帰る、猿払村の道の駅に寄ってみた。
ここはホタテ養殖が有名だとか。ゆでたホタテがたくさん売られていた。
私達が帰って少しして猿払村で日本ではじめてのBSEが出たので忘れられない
村になってしまった。

クッチャロ湖は黒い湖面だった、白鳥で有名といわれていたが遠くに何羽かいた。
帰りそびれたのだろうか?
浜頓別から音威子府、名寄、和寒ICから道央道を通って千歳から帰ってきました。















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Posted by レーズン at 19:56│Comments(0)思い出の旅日記
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